この名古屋の片隅に

大いなる田舎、名古屋より愛をこめて

嗚呼、追憶のエチオピア饅頭

いきなり他県の話ですみませんが、昔土佐に「エチオピア饅頭」という
名物があったことを皆様ご存じではないでしょうか。

エチオピア饅頭の詳細についてはエチオピア饅頭でおぐぐりいただけますと
ウィキペディアが出てきますのでそこに詳しくのってます。

概要を説明すると、黒糖の饅頭でエチオピアとはまったくゆかりがない
饅頭なのですが、初代店主が昭和初期、「相手より劣る装備で果敢にイタリア軍
戦い、撤退させたエチオピア軍の姿に感動して改名」したことが由来になっています。

元の名前は「のいち饅頭(店の所在地名)」。
店主はもちろん狙ってやったわけではないと思いますが、
「のいち饅頭」と「エチオピア饅頭」、インパクトでいえば後者がダントツですよね。
当時はゆかりがなかったものの、のちにエチオピア大使の知るところとなり
めでたく「公認」となりました。

そんなこんなでエチオピア饅頭は土佐のお土産として知る人ぞ知る
隠れた銘菓となりましたとさ。

しかし、そんなエチオピア饅頭…もうこの世にはありません。
エチオピア饅頭を作っているお店が、2013年に店主がなくなったタイミングで
廃業してしまったからです。

大ショック!!!

もうあのエチオピア饅頭は永遠にこの世から消えてしまった。
もう食べることはできないんです。

なぜなんでしょう?
和菓子屋さんに限らず後継者がいないという話はどこでも聞きます。

「わしの代でこのお店も終わりぜよ…」
「息子さんは継がないんですか?」
「息子は東京でサラリーマンぜよ。こんな地方の饅頭屋なんてつがないぜよ…」

そんな話がエチオピア饅頭店で繰り広げらていたかどうかはわかりませんが、
似たような話はあったのではないでしょうか。

消費者は、そんな内情知るよしもありません。
ある日突然、気が付いたらエチオピア饅頭は消えていたんです。

止める暇もなかった。
存続に向けての署名活動もできなかった。
まさか廃業なんて、思いもよらなかった。
エチオピア饅頭を愛した消費者の思いはどこへ行ったらいいのか。

そりゃ、「存続して!」の声さえ届けばお店の存続がかなうというのは
難しいです。名古屋でも鳥久という老舗料亭が、文化財としての
建築を残してほしいという名古屋市長の要望もむなしく燃えてなくなりました。

これは鳥久さんが悪いわけではない。
「存続して!」とさえ言っていればいい無責任な人たちと、
実際に汗水たらして存続させる人は違うのです。

「エチオピア饅頭残して!」といったところで、その人たちは
月に何回エチオピア饅頭を買うんでしょうか。
観光客ならなおさらですね。

しかし、もうあのエチオピア饅頭が食べられないなんて…(堂々巡り)

名古屋でも創業120年の納屋橋饅頭が休業中ですが、
納屋橋饅頭の場合はのれんわけした別営業のお店があるので
この世から消えてしまうということはまだなさそうです。
名古屋の名物ですからね。

大企業にはM&Aという選択がありますが、地方の小さな和菓子屋さんには
M&Aという発想はそもそもあるんでしょうか?

エチオピア饅頭ほどの知名度の饅頭であれば、生前声をかければ
一部門として存続させてくれる他の和菓子屋さんがないものでしょうか。
もちろんエチオピア饅頭店が操業している間は、レシピは門外不出でしょうが…。

自分が死ぬ時のことなんて、なかなか考えないですもんね。
死ぬときは何も持っていけないとはよく言ったものですが、
店主はエチオピア饅頭を持って天国へ行ってしまったのか…(涙)

…ごちゃごちゃ書いてすみません。
要は、エチオピア饅頭になくなってほしくなかった!
同じ味であれば他のお店にバトンタッチしても構わなかった!
と無責任な一消費者は思うのです。

こういう後継者がいない、かつ知名度の高い商品を、
M&A?知ってるよ、掌でとけないチョコレートでしょ?」という
状態であっても救済する手はなんとかないんでしょうか?

そこでしか食べられない名物メニューのあるレストランで、
その「名物メニュー」の権利だけ売る…みたいなことはないんでしょうか?
それまで亭主が、わが子のように慈しみはぐくんできたスペシャリティを
幸せに手放し、老後のゆったりとして幸せな生活を送るに十分な金額で。

(「あの世までもっていくんだ!」
というのは、それはそれで別のロマンがあって素敵ですけどね)

詳しい人がいたら教えてください。
あ、あとエチオピア饅頭の復活情報も。